助けられた想い       


傾聴の本質を知り、日常にあり方として反映させていると 身の回りに色々な変化を感じるようになります。 

相手を変えなくても自分がより自分になる事で大切な人を尊重し、自己決定に委ねる信頼関係が

そこに生まれるからです。・・・私も傾聴に「助けられた想い」がこうして広げる原動力になっています。

 

「傾聴を広げたい」 

NPO法人Smile up の思いの根底には、それぞれの愛があります。


 

 

傾聴を学んで変わった関係の中の一つは、息子達との関係かなと思います。

 

 

 

学ぶ前は、子育てに対する不安で胸の中がいっぱいで、潰れてしまいそうでした。だから、今思うと、それをなんとかしたくて私の価値観でジャッジしまくりだったと思います。息子の中に答えがあるなんて考えもしなかったから、親としてという私の良かれを押し付け、思い通りにならない不安と不満を子供にぶつけ、物を投げつけたり時には手をあげたり、本当にひどいことをしてしまっていました。

 

 

だから、息子達は自分の思いを私に伝えられなかった。だって、怖いもんね。叩かれたりしたくないもん。分かってもらえない人に、自分の思いなんか伝えられるわけがない。

 

 

 

そんな中、長男が不登校になり自室にこもるようになりました。長男の言葉だけじゃなくて、姿さえ私の前から消えてしまった。そんな日々が5年ぐらい続いたでしょうか。

 

 

 

相手の中に答えがある。だから、あの子の答えはあの子の中にちゃんとあるんだ。そう思えるようになったのは傾聴を学んだからです。私と長男は別の人間で、それぞれにそれぞれの思いがあっていい。私はあの子にとって大嫌いな母親でも、それでもしょうがない。でも私はあの子が大好きなんだよね。そう思えるようになったのも、傾聴を学んだからです。その人の正解はその人の中にあるんだと、心の底から思えるようになって、長男との関係は劇的に変わったように思います。何より私が変わりました。私が私の人生を楽しめるようになった。

 

 

 

そして多分、長男はそれをちゃんと見ていてくれてたんじゃないかと思います。相変わらず無口な子だけれど、「この歳で大学に行くってすごいと思う」とか、離婚することを「いいんじゃね」とか、ね、なんか私のことを認めてくれてるような、そんな言葉をもらえるようになったんだよね。(殺して腹を切り裂いてやりたいと走り書きしていたあの子が!)

 

 

これからもきっといろんなことがあるんだろうけど、私の中の 信じる という思いは決してなくならない。私がそうである限り、きっと大丈夫だと、私はそう思っています。

 

 

山根 美奈子

 


私が傾聴に触れたのは2014年。 

 

70歳になったばかりの母が突然壊れ、原因がわからず私まで拒絶するようになっていた時期です。 入院をしても日に日に悪くなる母に、私自身がどう接して良いかわからず、誰にも相談できず病院と職場を往復している時でした。 

 

母の命さえ厳しかった時にも傾聴に触れ学ぶことで、私は壊れることなく大きな山をいくつか超えてきました。

 

「 母の話を聴けるような私になれば、母はもう一度笑ってくれるだろうか。。。間に合わないかも知れないけれど、学ぶ過程だって必ず私の役に立つ 」と光が見えていたから。

 

そこに先輩や仲間がサポートしてくれたり、私の中にある答えにいつでも寄り添ってもらえたからです。

 

母の状態を見ながら否定をせず私が母の話を少しずつ聴けるようになった事もあり、2017年の現在は私が何かを決めるのではなく母の意志を尊重して私がサポートする関係が続いています。

 

これからも母と過ごせる限られた時間を大切にしながら、私の日常も大事に傾聴を学び続けたいと考えています。 

 

東京都 48歳 FN


 娘のことで学び始めた傾聴だったが私が話を聴いて貰って気持ちが整ってきた。

 

それは、何を言っても受け入れてくれて聴いてる人の価値観ではなく、私の価値感に合わせとくれるので私のままでいいんだと自分を肯定できた。

 

娘は一人っ子で心配で育ててしまい私の支配的な言動により思春期になると信頼関係が全くなかったように思える。 

 

中学、高校と2回の不登校になり何とか通学させたかったが私は育て方に自信がなくなり罪悪感を感じていた。

 

しかし傾聴を学び、学校に行かせるのが目的ではなくなってきて、好きなことをして過ごす娘を認められるようになると自分からアルバイトをしたり行動するようになり単位や出席日数がギリギリになると自分から通学するようになった。

 

娘を信じると信じきった自分を信じることができたのは子育てをして初めての感覚だった。

 

娘の中に答えがあるを信じ親が指示するのではなく支持出来る親でありたいと感じます。娘のための傾聴の学びが私のためで生き易く、目には見えない宝物になりました。

 

ちえ

 


私はずっとずっと、不安と戦いながら生きてきました。

 

不安を見ないように、心の奥に押し込めて、楽しいことだけを見て生きていきたいと思っていたのです。 

 

なんで自分がそうなったのかはわかりません。いじめられた経験からなのか、離婚した父のことを母に聞けなかったからなのか、それとも全然違うことなのか。

 

でも、実は何が原因かは大きな問題ではなくて、今の自分がどう感じているかが大切なんだと、傾聴は私に教えてくれました。 

 

蓋をしていた自分の感情に丁寧に耳を傾けるようになってから、不安が怖くなくなったのです。

 

もちろん今だって、悲しくなったり不安になったりすることはたくさんあります。

 

でも、そんな想いを引きずらなくなりました。自分から涌き出る想いを、それが例えどんな感情でも、その一つひとつ大切にできるようになりました。 

 

私は、今の私が好きです。

 

それを私に教えてくれた、傾聴が好きです。

 

雨野千晴

 


傾聴初級講座の最後、ナノさんのオープンカウンセリング。

 

それまで人前でそんな話をしたことなど全くない私が、子供の頃、母親から受けた事。殴る・蹴る・罵られる・否定される・・・その事を話しました。それまでは、そんな話をすることはダメな事だと思っていました。母親の事が嫌いだという事は人として絶対にダメな事と思っていました。いつの間にか自分のその気持ちに蓋をして「母親を好きって言わなくちゃいけない」「嫌いなんだけど、会いたくないけど、母親に呼ばれたら行かなきゃいけない」とずっと思っていましたし、そうしてきましたいつも他人の目を気にして、他人が私の事をどう思うのかを気にして行動していました。

 

そして、家族との関わりに自信のない私は、自分の家族と関わる事も苦手で、自分の思いを伝えることがすごく怖くて・・・そんな自分が好きになれずにいました。私はどうやって生きていけばいいのか。このまま、自分の思いを押し殺してずっと生きて行かなきゃいけないのか。母親が死ぬまでこの呪縛から逃れることが出来ないのか・・、そういうことを考えると、生きることも辛くて仕方がない毎日でした。

 

オープンカウンセリングの間ずっと、ナノさんは私の言葉をすごく丁寧に聴いてくれて、否定も肯定もしなくて・ジャッジしなくて・・・、ただただ頷き、時に感情を確認させてくれました。私はその確認でまた新しい気持ちに気付き話を続けることが出来ました。そのうちに忘れていた感情が・・・悲しみが、辛さが私の中にいっぱいになって、いつの間にか溢れてきました。苦しかった、辛かった、逃げたかった、そんな思いがどんどん溢れてきました。

 

オープンカウンセリングの後、聴いてくれてた仲間達が涙を流しながら言ってくれた言葉。「大好き」「そのままでいいんだよ」「親なんて捨てちゃえ」その言葉は今もこれからも私の宝物です。 

 

その後、講座を繰り返す中で、どんどん核心に近づこうとする私。でも、何かが引っ掛かっていて、何かがすっきりしなくて出口がみつからなくて・・・。そこにはまだ「母親を好きにならなきゃいけない」私が居て、何をどう話しても「母親を好きになれない自分」が悲しくて仕方がなかった。

 

そんな迷走中の私にナノさんは、「ちかちゃんのその時を待ってるよ。その時に立ち会えたらいいな。」と言ってずっと待っていてくれました。

 

 その当時の私のキーワードは「わかんない」

 

今でこそ笑い話ですが、その当時は自分の感情の事になると間髪入れず「わかんない」と答えていた私() 「なんでわかんないんだろう???」ナノさんの言葉を聞いて考えて考えて、そしてその理由が分かったのも傾聴カウンセリングでした。私は「わかんない・・・」と考えないことで、すべてに蓋をして生きてきたんだと思いました。きっと考えると生きることが辛過ぎたんだ、生きて来れなかったんだと思いました。それに気付いた時、なんだか自分の重かった思いがすっと軽くなった感じがしました。

 

「嫌いなままでいいんだよ。嫌いって決めればいいんだよ」「決定権をちかちゃんが持っていればいいんだよ」ナノさんの言葉がすーと私の中に入ってきてすっきりして嬉しかったことを思い出します。

 

 その時から「嫌いでいい」「私が決めればいい」「周りがなんて言っても私の気持ちが一番大切」そう思えるようになりました。そこに気付くとなんだかすごく楽になって、母親と会わない自分も、連絡しない自分も「それでいいんだよ」って思えるようになりました。

 

 私は私のままでいい。誰の評価も気にしなくていい。私が信じる私でいればいい。今、そう思って毎日を過ごせています。何だか楽になりました。そしたら、家族の事が気にならなくなりました。無関心になったからではなく、私が思っている家族と違っていても「それはそれでいい、みんな自分で決めている。だから大丈夫」と思えるようになったんです。主人の事も、息子たちの勝手な行動も「全部彼らが決めている事だから。」と気にならなくなりました。でも、まだ未熟者ですので時々イライラの私が顔を出しますが()そんな自分も「ありだな」と思えるようになりました。

 

 私が私になっていく。

 

傾聴を学んでいるときに感じた思いです。今の私、自分が大好きなんです。私は、傾聴と出会って、傾聴を学んで本当に良かったと思っています。この傾聴がたくさんの人に色がるといいな・・・と願っています。

 

成田 睦

 

 


家族に対して、ふだんのちょっとしたひと時に「聴く」ということはもちろん、家族が人生の節目や大変な状況だった時、話をじっくり聴いてそばにいることができました。

 

結果として家族が納得のいく方向にむかうことができたとき、傾聴を学んでいてよかった!と思います。
「相手」の話を傾聴するわけですが…自分の「あり方」がどうであるのか、どんな気持ちなのかを見つめることが多くなります。ですので、傾聴を学ぶにつれ、自分の感情が揺れても戻って来られる軸ができた気がします。どんな感情も体験も私の「宝物」です。 

 

親と子、上司と部下、先生と生徒…などなど、どんな関係でも、傾聴はすべてのコミュニケーションの基本だなぁ、とつくづく感じます。

 

 より多くの方に傾聴を知ってもらえるよう、これからも仲間とともに楽しく活動します!

 

山本美智